新野 幸次郎 氏
神戸大学名誉教授、(財)神戸都市問題研究所理事長
【略歴】
1925年鳥取県生まれ
1949年神戸経済大学経済学科卒業、同大学助手
1963年神戸大学経済学部教授
その後経済学部長などを経て、1985年から1991年まで神戸大学学長
その間、日本学術会議委員、日本経済政策学会会長、自治体学会顧問、国立大学協会理事・第一常置委員会委員長、大学審議会委員、大学設置審議会常任委員(文部省)、物価安定政策会議委員(経済企画庁)、独占禁止懇話会委員(公正取引委員会)、中小企業安定審議会委員(通産省)、文化政策推進会議委員(文化庁)、国立大学法人神戸大学経営協議会委員、都市再生戦略策定懇話会座長、震災対策復興検証会座長(兵庫県)等を歴任、現在、日本経済研究センター理事、(財)こうべ市民福祉振興協会会長、兵庫県立美術館運営委員長等を勤める。
【受賞歴】
日本計画行政学会論説賞、神戸新聞平和賞、井植文化賞特別賞、勲二等旭日重光賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、兵庫県県政高揚功労賞など。
【著書】
「現代市場構造の理論」「産業組織政策」「日本経済の常識と非常識」「六甲台からー大学と学生と現代社会―」「現代経済の常識(共著)」「ケインズ経済学(共著)」「経済政策論(共編)」「寡占の経済学(共編)」「新・現代経済をみる目(編著)」などその他多数
大震災は、今迄国および大都市が準備してきた大災害対策(いわゆる公助)の無力さを、あからさまにした。災害から自分を守るためには、平素から災害を少しでも削減するための自分の心構えと努力を強めることが必要なことも知った。それと同時に、個人の努力と能力には限界があるので、人と人との、あるひは、仲間の人達との共助の体制づくりが絶対不可欠であると自覚するようになった。
しかし、震災は文字通り大規模で悲惨であったから、逆説的であるが私たちにも力を与えることになった。震災を実際に経験した被災地の人々は、他の誰よりも安全・安心なまちづくりをしなければならないという自覚をし、そのために発言し、行動するようになった。
こうした志向を、人々は「参画」と「協働」という言葉で表そうとする。しかし、この概念は、現在政策を策定している例から唱えられた言葉であって、何となくお仕着せ的である。自分たちが主体となって、行動の目的を立て、それを実効のあるものにしようとするのでないと本当に責任のとれる行動は生れない。
そう言えば、例えば企業でも行政体でも、顧客満足とか、市民満足をできる限り最大にするように従業員や職員にアピールすることが多い。しかし、そういう目的のために行動する従業員や職員が、いま自分の所属している企業や行政体での仕事に生き甲斐を見出し、その環境と待遇に満足していて、目的達成のために一所懸命に努力しようと思っていなくては、お客様や市民に満足して貰うような努力を積み重ねることはできない。その意味では、たとえば、行政体が市民満足をえようと思えば、その職員各人がその仕事に満足し、市民自身が自発的に共助と、新しい公づくりに力を尽くそうという気持ちになれる仕事の進め方をしなければならない。
もっとも、行政体でそこまで行くのは中々難しい。
だが、企業のなかには、既にお客さんに会社のデザインに参加して貰い、お客様と一緒にモノを作り、それを販売して成功しているものも出てきた。行政体の場合でも今回の震災でそれに匹敵する事態を経験したところもある。
よい例が、眞野地区では、公害反対の永い活動を通じて、みんなが自発的に協力すれば公害を削減できることを経験した住民が、今度の震災でも力強く団結して延焼を食い止め、その後の復興を推進した。野田北部では、震災前からまちづくりの専門家と住民が一体になって「まちづくり協議会」をつくり、小さな公園づくりなどをやり遂げた力で、甚大な震災を受けたにも拘わらず、それからの復興に全市のモデルになるような成果をあげることができた。公助や自助の限界を補強するこうしたボランタリィな活動は、ソシアル・キャピタルともいわれるが、その基礎になったのは、英米でいうコモンズの形成である。コモンズは「コミュニティ全体に属するか、または影響を与える土地または資源」といわれているが、この資源の中には、人的ネットワーク、知的資源などの社会的共通資源も含まれる。大震災の経験は、安全・安心なまちづくりに不可欠なものは何よりこうしたソシアル・キャピタルの育成と強化であり、コモンズの形成であることを私たちに教えた。私たちは、大震災の教訓とそれが生み出した力を最大限に生かさなければならない。