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多様性を活かした故郷づくり
西日本電信電話株式会社 代表取締役社長 村尾 和俊氏

村尾 和俊(むらお かずとし)氏
西日本電信電話株式会社 代表取締役社長

生年月日:昭和27年10月21日

出身地:兵庫県

<学歴>
昭和51年 3月 京都大学法学部 卒業
<職歴>
昭和51年 4月 日本電信電話公社 入社
平成4年 8月 日本電信電話株式会社 広報部 報道部門長
平成7年 7月 同 秘書室 担当部長
平成11年 7月 同 秘書室長
平成12年 9月 西日本電信電話株式会社 京都支店長
平成17年 6月 同 取締役 経営企画部長
平成20年 6月 同 常務取締役 経営企画部長
平成21年 6月 同 代表取締役副社長
平成24年 6月 同 代表取締役社長 (現職)
<団体・公職歴>
平成26年 5月 一般社団法人 関西経済同友会 代表幹事
(H26.5月~H28.5月)
平成26年 5月 公益社団法人 関西経済連合会 理事(現職)

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2014年5月からの2年間、関西経済同友会の代表幹事を務めさせていただいた。この間、私の課題認識であり活動テーマの1つは、「次世代への貢献」であった。人口減少と高齢化が急速に進む中、「強い日本」、「強い産業」を次世代へ引き継ぐためには、経済活性化のための諸施策を講じるとともに、政治的な駆け引きの中で先送りされがちな「税と社会保障の一体改革」等、国民に痛みを伴う改革を通じた財政健全化に取り組む必要があることを訴えてきた。また、関西の「ものづくり」の復権を訴え、私たちが脈々と受け継いできた「日本の豊かな精神文化」を活かすとともに、AIやIoTなどの最先端の技術を取り込んだ企業経営のあり方についても調査研究と提言を行ってきた。
もう1つの課題認識は「多様性の発揮」であり、東京一極集中を是正し、地域の多様性を発揮すること、すなわち「輝く地域」の創生を実現するということである。本稿では、この「輝く地域」の創生に関し、同友会活動等を通じて得られた知見をもとに、私なりの考察を述べたいと思う。

改めて述べる必要もないが、東京には、政治、経済・金融を含めあらゆる機能が集積し、人口集中が進んでいる。G7各国においても、都市圏への一定程度の人口集中は見られるが、今なお進行している点、また、第一都市圏と第二・第三の都市圏との人口格差が非常に大きい点は、他の先進諸国とは異なる状況となっている。
こうした状況は、決して古くからのものではない。日本で初めて国勢調査が行われた1920年時点では、東京圏(1都3県)の人口は、14.6%に過ぎず、日本を7つのブロックに分けてみると、いずれも13%から15%程度の割合で均衡していた。この30年後(1950年)の調査では、首都圏が17.1%となり若干の集中が見られるが、本格的な人口集中の加速は、その後の高度経済成長期であり、1980年までの30年間で8%増加し、日本の総人口の4分の1を占める規模になっている。この間、産業・経済の中枢機能の東京移転が進み、主要企業の本社(機能)の移転も促進された。また、大量輸送が可能な高速交通手段である新幹線敷設が東京を起点に進められてきた影響も大きい。現在の新幹線路線を俯瞰すれば一目瞭然であるが、すべての路線が東京を起点として整備されており、新大阪でさえも、通過点の1つに過ぎないという状況となっている。
さらに江戸時代にまで歴史を遡ってみると、幕藩体制というものは、江戸幕府が専制的な側面を持つと同時に、各藩が独立した分権的な側面を併せ持っていた。各藩は、藩法を制定し、独自の政治や裁判を行うことができた。江戸時代の中後期には藩札の発行が認められ、独自の金融・経済政策により各地で特産品が生まれた。さらには、各藩が藩校を設立・運営し、独自の教育を行い、多才な人材が育まれ、幕末から明治維新、その後の発展を支える人材の輩出にもつながったのである。

こうした事実は、日本は元来、多様な価値観に基づき、各地域の人々が自らの手で地域資源や人材を育て、活力ある地域づくりを成し遂げていたことを意味している。そして今、日本各地で、地域主導での活性化に向けた取り組みが始まっている。その挑戦を紹介したい。
島根県壱岐郡海士町は、松江沖60㎞の日本海に浮かぶ広さ33.5平方㎞、人口約2400人の小さな島である。海士町は、『ないものはない』をキーワードに、第1次産業の再生で島に産業を創り、雇用を増やし、島外からの収入を獲得することで、島を活性化している。島が持つ宝の山(地域資源)から商品を生み出し、カキや牛、塩などを続々とブランド化し、商品価値を高める戦略をとっている。こうしたイノベーションを生み出すのは、自らが先頭に立ってリーダシップを発揮する町長と、地域の外から来た「よそ者」、「若者」、「ノリがよく、熱く燃える地元人材」、すなわち多様性である。
岡山県真庭市は、岡山県の北中部に位置する豊富な森林資源を有する地域である。ここでは、『ないものねだりではなく、あるものを使う』をキーワードに、処理に困っていた間伐材等を使ったバイオマス発電に取り組むとともに、木質ペレットや新たな建材であるCLT(Cross Laminated Timber)などの生産に取り組んでいる。地元の若手経営者がリーダーとなり、縄文時代より受け継がれてきた「真庭の森」を次世代に引き継ぐため、豊富な木質資源を利用した地域活性化に取り組んできた成果である。

ご紹介した地方創生の事例は、「輝く地域」の創生に向けた3つのヒントを与えてくれる。
1つ目は、東京一辺倒の価値観ではなく、地域ごとの多様な価値観を確立すべきということである。海士町の『ないものはない』、真庭市の『ないものねだりではなく、あるものを使う』は、発想の転換から生まれている。幸福や豊かさを測る基準を自らの中に持つことが、まず求められているのではないだろうか。
2つ目は、地域に眠っている資源を見つけ出し、活かしていくことである。それは、お金をかけて新しく創ることだけではなく、自然や農林水産資源、文化・芸能、スポーツ、古民家や廃校といった古い建造物など、既に手にしている資源の中から地域の魅力を再発見することである。
3つ目は、外部の視点と熱心なリーダーの存在である。地域の外から人材を呼び込み、新たな発想と多様性を活かすことで、眠っている地域資源を宝の山に変えることができる。熱心なリーダーが、「よそ者」「若者」「熱く燃える者」を牽引することにより、地域は確実に変わっていく。
これら3点が示唆するものは、地域活性化の主役は、地域そのものであり、地域の人であるということだ。外から与えられるものではなく、自ら知恵を絞り、行動し、実現していくものなのである。その第一歩として、東京志向の暮らし方や価値観から脱却し、独自の豊かさや幸福感を再構築していくことが、「輝く地域」の創生につながっていくのではないだろうか。そして、「輝く地域」が各地に創生されていくことが、日本全体の活性化と持続的な発展をもたらすものと確信している。