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アフターコロナ時代へのパラダイムシフト-万博・MICE-IRをバネに夢洲が果たす役割
日本生命保険相互会社 代表取締役副会長 古市 健 氏

古市 健 氏
日本生命保険相互会社 代表取締役副会長

生年月日:昭和29年8月21日生

学歴
昭和52年 3月 東京大学 経済学部 卒業
昭和59年 6月 ペンシルベニア大学ウォートン校(経営大学院)卒業
職歴
昭和52年 4月 日本生命保険相互会社入社
平成9年 3月 NLI International Inc(ニューヨーク現地法人)社長
平成12年 3月 日本生命保険相互会社 ネットワーク業務部長
平成13年 3月 ネットワーク業務部長 兼 プラザ推進室長
平成14年 3月 調査部長 兼 広報部長
平成15年 3月 財務企画部長
平成16年 7月 取締役 財務企画部長
平成19年 3月 取締役常務執行役員 リスク管理統括部長
平成21年 3月 取締役専務執行役員 お客様サービス本部長
平成22年 3月 代表取締役専務執行役員
平成24年 3月 代表取締役副社長執行役員
平成28年 7月 代表取締役副会長
現在に至る
関西経済同友会 活動歴
平成28年 3月 関西経済同友会 入会
平成28年 5月 常任幹事
平成28年 5月 次世代志向の政策を考える委員会 委員長
平成30年 5月 人生100年時代委員会 委員長
令和2年 5月 関西経済同友会 代表幹事

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はじめに

2022年5月、2年間の任期を終えて関西経済同友会代表幹事を退任した。まさに激動の2年間であった。私が代表幹事に内定した2019年11月、インバウンドは絶好調、設備投資や個人消費等の内需も堅調であった。万博や「ワールドマスターズゲームズ2021関西」等のビックイベントも控え、ビジネスチャンスやインバウンドの更なる拡大に向け、大阪・関西の魅力を世界にアピールする絶好の機会だ、と関西全体に追い風が吹いていた。ところが、2020年に入り、それが突然強烈な逆風に変わってしまった。新型コロナウイルスの出現である。私が代表幹事に就任したのは、緊急事態宣言が発出されている、まさにその真っ只中のことであった。

コロナとの対峙、そして共生へ

文字通り、この2年間はコロナと対峙した、辛く、しかし貴重な期間であった。もともと、VUCA(Volatility Uncertainty Complexity Ambiguity)と言われるとおり、デジタル革命、働き方改革等々、社会全体の変革期に差し掛かってはいたのだが、それにコロナが追い打ちをかけた。政治・経済・安全保障等様々な領域で我々が先送りにしてきた課題を、コロナ禍はいみじくも浮き彫りにしてくれたのである。我々、関西経済同友会も不可逆的な変化を迫られる中、様々な取り組みを行った。オンラインをフル活用した結果、海外とも簡単に繋がり、また、忙しい会員方が委員会に参加しやすくなる等、同友会活動のニューノーマルの礎を築くことが出来た。

また、受け身の対応だけで済ませてはいけない、我々が先導してコロナ禍からの新たな再生・飛躍に向けた礎を築かなければならない、という思いから、「Afterコロナ時代へのパラダイムシフト」と銘打ち、不死鳥(フェニックス)を掲げた事業計画を策定した。次世代のため、そしてサステナブルな関西の成長のために時機を逸してはならない、ここぞという思いであった。「女性活躍委員会」、「新時代の幸福・価値観等を研究するWG」、「関西都市強靭化委員会」、「広域観光委員会」を新設し、活動指針として、全ての課題に対してSDGsの視点を取り入れ、従来の枠組みに捉われずに自由・闊達に議論することを定め、リアルとデジタルとのベストミックスを追求した。

そして、特に重視したのは多様性の取り込みである。同友会の構成員の大半は既存の経営者、それも中高年・男性である。個人差こそあれ、その発想・行動の幅には自ずと限界がある。そこで、女性会員参画を促進すると共に、次世代を担う若者(学生や若手ベンチャー経営者)と対話し、その意見・価値観を提言に反映する工夫を行った。足元の損得勘定だけではいけない、次世代にツケを回してはならない、「三方よし」だけでなく「次世代よし」でなくては、との思いからであった。併せて、会員バッジ等も作り組織の一体感づくりと会員増加にも取り組み、他の同友会との連携も進めた。これらの諸取組も同友会運営にレガシーを残せたと自負している。

これからの関西経済-パラダイムシフトの中のチャンス

今後コロナが完全に収束するのではなく、長期戦が想定される中では、経済活動の形そのものが従来とは大きく変化したものとなっていくであろう。しかしその変化こそ、関西経済にとってはパラダイムシフトの大きなチャンスになると私は考える。

大きな変化の一つが、働き方の変革が本格化している点である。例えば、多くの企業ではコロナを契機にWEB会議やリモートワークが定着した。業種によっては必ずしも大都市にオフィスを構える必要がなくなり、地方へと本社を移した企業やオフィス削減を決めた企業等も出てきた。また、副業の解禁やワーケーションの導入など、多様な働き方を取り入れる企業も増えてきた。こうした動きは今後も広がっていくと思うが、個人のワークライフバランスの向上や企業の生産性向上等を進めるだけでなく、介護離職の問題を始めとした労働人口減少、若い世代が都心に集中することによる地方の高齢化進展等といった日本が抱える構造的な社会課題の解決に向けた一助ともなるはずだ。

コロナ禍は多くの産業に深刻な影響を与え、構造改革を迫っている。とりわけインバウンドが消失し、関西の観光産業は大きなダメージを受けた。外国人観光客の段階的な新規受け入れがようやく再開された今、これを機に以前のようなオーバーツーリズムを回避し、安売り等で数を追い求める観光戦略から脱却することを期待したい。これからの観光産業は、関西の豊かな観光資源の魅力を活かしながら、より付加価値の高いサービスの提供により、顧客から相応の対価を得る仕組みづくりを進めていくことが重要になるだろう。例えば、「コト消費」と言われるような体験型観光など、目の肥えた観光客が満足するようなコンテンツの開発を行うことや、観光型MaaSなどICTやデジタル技術を駆使してシームレスかつ快適な移動を提供すること等は、満足度の高い観光の実現に繋がるのではないか。顧客に新たな体験価値を提供することは、これからのサステナブルな観光には必要な要素になる。そうしたサステナブルな観光を実現するためのキーワードは「地域間の連携」だと私は考える。地元地域に観光客を呼び込むという従来型の発想だけでは不十分で、地域間の連携を意識した取り組み、広域周遊・広域観光連携という視点が重要なのである。観光エリア間の連携は、相互の視点で隠れた観光資源を発掘し、個々の観光地の多様な魅力を相乗させ、リピーターを増やすことにもつながり、域内の観光消費を喚起する効果が期待される。万博が開催される夢洲も、こうした広域周遊・広域観光のハブとしてのシンボル的役割を担うに相応しいのではないか。

また、関西が強みとしてきたライフサイエンス・ヘルスケア領域にもチャンスがある。関西には、iPS細胞の研究で世界を牽引する京都大学や、免疫学等の分野で長い歴史と伝統を持つ大阪大学をはじめ、医療・ライフサイエンス領域の研究機関が集積している。大阪には「くすりの町」として歴史の古い道修町に加え、彩都ライフサイエンスパーク、健都(北大阪健康医療都市)という拠点がある。

そして2024年には中之島に未来医療国際拠点が開業する。未来医療国際拠点は、再⽣医療をベースにゲノム医療や⼈⼯知能(AI)、IoTの活⽤等、今後の医療技術の進歩に即応した最先端の「未来医療」の産業化を推進する役割を担う。医療機関と企業、スタートアップ、支援機関等が一つ屋根の下に集積することを特徴とする全国初の拠点であり、大阪・関西のライフサイエンス・ヘルスケアに更なる厚みをもたらしてくれるであろう。コロナ禍を乗り越えた先の、「いのち」という原点に立ち戻り、持続可能な「未来医療」を模索する場として、あらゆる産業分野の連携集積の場となることも期待したい。

夢洲、夢のその先へ

私の任期中の2年間、残念ながら海外への視察はほとんど叶わなかった。だが、幸いなことに、ドバイ万博を訪問できた。そこで改めて感じたことは、万博には「吸引力」、すなわち人を惹きつける力があるということ、そして、それは世界が平和であるからこそ可能だということだ。3年後の2025年には夢洲で大阪・関西万博が開催される。「いのち輝く未来社会のデザイン」という崇高なコンセプトが掲げられている。必ずや、多くの人を世界中から惹きつけ、感動を与えてくれるに相違ない。さらには様々なイノベーションを提示し、日本の成長ドライバーともなってくれるはずである。

言うまでもなく、万博を一過性の祭りで終わらせず、遠い未来まで見据えた礎にしなくてはならない。単に関西、日本の経済の為だけではなく、来る万博が、全世界の人びとに「いのち」を考えるきっかけを与え、創造的な行動を促し、他者のため、地球のために、一人ひとりが動きはじめる、まさに人類全体の変革を呼び起こすものになってくれるであろうことを衷心より期待している。

加えて2029年にはMICE-IRも開業する。夢洲がまさに「イノベーション、そして平和社会の中での世界の人の流れの起点となる」というのは言い過ぎだろうか。

結び

いささか話が飛躍したかもしれない。関西経済同友会代表幹事は退任したが、これからも一人の“関西”人として、関西が日本はもとより世界の発展をリードし続けていけるよう、微力ながら貢献してまいりたい。その決意と御礼とともに茲に筆を擱くこととする。